2月13日には、日本や世界でさまざまな歴史的な出来事がありました。
本記事では、日本史・世界史・現代のニュースの視点から、2月13日を振り返ります。
2月13日の日本史の出来事
2月13日に日本国内で起きた歴史的な出来事を紹介します。
1219年2月13日:鎌倉幕府3代将軍・源実朝が暗殺される
1219年2月13日(建保7年1月27日)、鎌倉幕府の第3代将軍である源実朝(みなもとのさねとも)が、鶴岡八幡宮で甥の公暁(くぎょう)によって暗殺されました。
この事件により、源氏の将軍家は断絶しました。
実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で、和歌を愛し、朝廷との関係を深めていました。
一方、公暁は、実朝の兄である第2代将軍・頼家の子供です。
公暁は、父・頼家が北条氏によって殺害されたと考え、その復讐として実朝を襲撃したとされています。
しかし、実朝暗殺の背景には、北条義時や三浦義村など、当時の有力者たちの権力争いが関与していた可能性も指摘されています。
この事件により、源氏の将軍家は途絶え、鎌倉幕府の権力構造に大きな変化が生じました。
1820年2月13日:小林一茶が『おらが春』を著す
1820年2月13日(文政2年12月29日)、俳人の小林一茶が『おらが春』を著しました。
この作品は、一茶が57歳の1819年(文政2年)の一年間の出来事や感想を、俳句や俳文とともに綴ったものです。
特に、長女さとの死を中心に、日々の生活や心情が描かれています。
『おらが春』という題名は、巻頭の句「目出度さもちう位也おらが春」から採られ、一茶の晩年の心境や信仰を表した代表作とされています。
1862年2月13日:坂下門外の変
1862年2月13日(文久2年1月15日)、江戸城の坂下門外で、老中の安藤信正が水戸藩の浪士6名に襲撃され、負傷する事件が起こりました。
この事件は「坂下門外の変」と呼ばれています。
安藤信正は、幕府の力を強めるために、朝廷と幕府が協力する「公武合体」政策を推進し、その一環として、孝明天皇の妹である和宮を将軍徳川家茂に嫁がせることを実現しました。
しかし、この政策は、外国人を追い払おうとする「尊王攘夷」を主張する人々の反感を買いました。
特に、水戸藩の浪士たちは、安藤信正が和宮を人質にして朝廷を操ろうとしていると考え、彼の暗殺を計画しました。
文久2年1月15日、安藤信正が江戸城に登城する際、坂下門外で浪士たちに襲撃され、背中に傷を負いました。
浪士たちはその場で討たれましたが、安藤信正もこの事件の責任を取らされ、老中の職を辞めることになりました。
1927年2月13日:人里では日本最大の積雪を記録(8.18メートル)
1927年2月13日、新潟県中頚城郡寺野村(現在の上越市板倉区)で、8メートル18センチの積雪が記録されました。
この記録は、人が住む地域での積雪としては日本最大とされています。
当時の高田測候所の気象報告には「寺野27尺」と記載されており、27尺は約8.18メートルに相当します。
このような豪雪は、日本海からの湿った空気が山にぶつかり、雪を降らせることで起こります。
特に新潟県は、対馬海流からの湿った空気が上空の寒気と交わり、大雪になりやすい地域です。
2月13日の世界史の出来事
2月13日に世界各地で起きた歴史的な出来事を紹介します。
1689年2月13日:名誉革命の終結
1689年2月13日(ユリウス暦)、イングランドでウィリアム3世とメアリー2世が共同統治者として即位しました。
彼らは議会が提出した「権利の宣言」を受け入れました。
この宣言は、国王の権力を制限し、議会の権利や国民の自由を確認するものでした。
同年、これを基に「権利の章典」が制定されました。
これにより、国王よりも議会が優位に立つ立憲君主制が確立されました。
この一連の出来事は、ほとんど血を流さずに終わったことから「名誉革命」と呼ばれています。
1895年2月13日:リュミエール兄弟がシネマトグラフの特許を取得
1895年2月13日、フランスのリュミエール兄弟は、シネマトグラフの特許を取得しました。
シネマトグラフは、撮影、現像、映写の機能を一体化した装置で、映画の歴史において重要な発明とされています。
同年3月19日、彼らは最初の実写映画『工場の出口』を撮影しました。
さらに、12月28日にはパリのグラン・カフェで初の有料上映会を開催し、これが「映画の誕生」とされています。
シネマトグラフの発明により、映画は多くの人々に鑑賞される娯楽として広まりました。
フランスのオーギュスト=リュミエールとルイ=リュミエールの兄弟。
トーマス=エジソンと並び称される映画発明者で、「映画の父」とも呼ばれる。
2月13日の現代の出来事
近年の2月13日に起こったニュースを紹介します。
1995年2月13日:「フェルマーの最終定理」の証明が認められる
1995年2月13日、数学者アンドリュー・ワイルズによる「フェルマーの最終定理」の証明に誤りがないことが確認されました。
これにより、約360年にわたる未解決問題に終止符が打たれました。
フェルマーの最終定理とは、3以上の自然数nについて、xn + yn = znを満たす自然数の組(x, y, z)が存在しない、というものです。
17世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーが提唱しましたが、長らく証明されていませんでした。
ワイルズは1993年に証明を発表しましたが、当初は誤りが見つかりました。
その後、修正を加え、1994年に新たな証明を提出しました。
最終的に、1995年2月13日にその証明が正しいと認められました。
この成果は、数学界における大きな偉業とされ、ワイルズは1998年に「数学界のノーベル賞」ともいわれる「フィールズ賞」特別賞を受賞しました。
2018年2月13日:羽生善治氏と井山裕太氏に国民栄誉賞
2018年2月13日、将棋棋士の羽生善治氏と囲碁棋士の井山裕太氏に国民栄誉賞が授与されました。
将棋界および囲碁界の棋士がこの賞を受賞するのは史上初めてのことです。
羽生氏は、将棋界初の「永世七冠」を達成するなど、数々の偉業を成し遂げました。
井山氏は、囲碁界初の七冠同時制覇を2度達成するなど、卓越した功績を残しています。
2月13日の出来事 まとめ
2月13日を振り返ると、日本史・世界史・現代のさまざまな出来事がありました。
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