2月12日には、日本や世界でさまざまな歴史的な出来事がありました。
本記事では、日本史・世界史・現代のニュースの視点から、2月12日を振り返ります。
2月12日の日本史の出来事
2月12日に日本国内で起きた歴史的な出来事を紹介します。
1938年2月12日:日本初のボブスレー競技が開催される
1938年2月12日、北海道札幌市で日本初の全日本ボブスレー選手権大会が開催されました。
この大会は、日本におけるボブスレー競技の発展の第一歩となりました。
ボブスレーは、専用のそりに乗り、氷のトラックを高速で滑走してタイムを競うウィンタースポーツです。
2人乗りと4人乗りの種目があり、最高速度は130~140km/hに達することから、「氷上のF1」とも呼ばれています。
オリンピックでは、1924年の第1回シャモニー・モンブラン冬季大会から正式競技として採用されています。
日本国内でボブスレーの公式競技が可能な施設は、1998年の長野オリンピックで使用された「スパイラル」(長野市ボブスレー・リュージュパーク)のみとなっています。
2月12日の世界史の出来事
2月12日に世界各地で起きた歴史的な出来事を紹介します。
1541年2月12日:チリのサンディアゴ市が建設される
1541年2月12日、スペインの征服者ペドロ・デ・バルディビアは、現在のチリの首都であるサンティアゴ市を建設しました。
この都市は、当初「サンティアゴ・デ・ヌエバ・エクストレマドゥーラ」と名付けられました。
建設地として選ばれたのは、マポチョ川沿いの現在のサンタ・ルシアの丘付近で、川が防御線として機能し、気候も穏やかであったためです。
サンティアゴは、スペイン植民地時代の行政の中心地として発展し、現在ではチリの政治、経済、文化の中心地となっています。
1912年2月12日:宣統帝が退位し、真が滅亡
1912年2月12日、中国・清朝の最後の皇帝である宣統帝(溥儀)が退位し、清朝は滅亡しました。
この退位は、辛亥革命による各省の独立宣言と南北議和の結果、隆裕太后が「退位詔書」を発布することで正式に決定されました。
詔書では、政権を国民に委ね、共和政体を採用することが宣言されました。
これにより、清朝は268年の歴史に幕を下ろし、中国における2000年以上続いた帝政も終焉を迎えました。
退位後、溥儀は「大清皇帝」の尊号を保持し、紫禁城に居住することが許可されましたが、1924年にこれらの特権は取り消されました。
2月12日の現代の出来事
近年の2月12日に起こったニュースを紹介します。
1958年2月12日:日本初のバレンタインチョコレートが販売される
1958年2月12日、メリーチョコレートカムパニーは、東京の百貨店で日本初のバレンタインフェアを開催しました。
このフェアでは、50円の板チョコレート3枚と20円のメッセージカード1枚が販売され、総売上は170円でした。
当時、日本ではバレンタインデーの認知度が低く、販売は苦戦しました。
翌年、メリーはハート型のチョコレートに「TO」と「FROM」を記入できるデザインを導入し、贈り手と受け手の名前を入れられるようにしました。
このアイデアは注目を集め、バレンタインデーの習慣が徐々に広まりました。
これらの取り組みにより、バレンタインデーにチョコレートを贈る文化が日本に定着していくことになります。
1984年2月12日:植村直己さんがマッキンリー冬季単独登頂に世界で初めて成功
1984年2月12日、冒険家の植村直己さんは、北米最高峰であるマッキンリー山(現・デナリ、標高6,194メートル)の冬季単独登頂に世界で初めて成功しました。
この日は、植村さんの43歳の誕生日でもありました。
しかし、翌2月13日午前11時、軽飛行機との無線交信で登頂成功と現在地を伝えたのを最後に、消息を絶ちました。
その後、捜索活動が行われ、標高4,200メートル地点の雪洞で日記やカメラが発見されましたが、植村さん本人は見つかりませんでした。
2月26日、デナリ国立公園管理事務所は、生存の可能性がないとして捜索を打ち切りました。
植村さんは、世界五大陸の最高峰登頂や北極圏1万2,000キロメートルの単独犬ぞり行など、多くの偉業を成し遂げた冒険家として知られています。
2月12日の出来事 まとめ
2月12日を振り返ると、日本史・世界史・現代のさまざまな出来事がありました。
関連する日付の記事もぜひチェックしてみてくださいね!