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2月8日は何の日?日本史・世界史・現代の出来事をチェック!

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2月8日には、日本や世界でさまざまな歴史的な出来事がありました。

本記事では、日本史・世界史・現代のニュースの視点から、2月8日を振り返ります。

目次

2月8日の日本史の出来事

2月8日に日本国内で起きた歴史的な出来事を紹介します。

1566年2月8日:松平家康が徳川家康に改姓

1566年2月8日(永禄9年12月29日)、松平家康は朝廷からの勅許を受け、名前を徳川家康に改め、従五位下・三河守に叙任されました。

家康は、もともと「松平」姓を名乗っていましたが、自身の家系を清和源氏の流れを汲む新田氏の庶流・世良田氏の子孫と称していました。

「徳川」への改姓は、自らの家系を名門である源氏の流れと位置づけ、家の権威を高める狙いがあったと考えられます。

この改姓により、家康は朝廷から正式に認められた地位と名誉を得て、その後の勢力拡大の基盤を築くこととなりました。

1946年2月8日:憲法改正大綱(松本試案)が提出される

1946年(昭和21年)2月8日、松本烝治を委員長とする憲法問題調査委員会は、「憲法改正要綱」(通称「松本試案」)をGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に提出しました。

この要綱は、松本国務大臣が自身の私案を基に作成したもので、天皇の統治権を維持しつつ、議会の権限拡大や国務大臣の責任強化、国民の権利・自由の保障強化などを盛り込んでいました。

しかし、GHQはこの案を保守的であり、十分な改革がなされていないと判断し、2月13日に独自の憲法草案(マッカーサー草案)を日本政府に提示しました。

2月8日の世界史の出来事

2月8日に世界各地で起きた歴史的な出来事を紹介します。

1865年2月8日:メンデルの法則が提唱される

1865年(慶応元年)2月8日、オーストリア帝国(現在のチェコ共和国)ブルノの修道士グレゴール・ヨハン・メンデルは、ブルノ自然科学協会の会合で、エンドウを用いた交配実験の結果を発表しました。

この発表では、親から子へ形質がどのように伝わるかを示す遺伝の法則、後に「メンデルの法則」と呼ばれるものが提唱されました。

メンデルは、エンドウの花の色や種子の形状など、対立する形質に注目し、純系の親同士を交配させ、その子孫(F1世代)や孫世代(F2世代)の形質の現れ方を詳細に観察しました。

その結果、形質が一定の比率で子孫に現れることを見出し、これを基に「優性の法則」「分離の法則」「独立の法則」をまとめました。

しかし、当時の科学界ではこの発見の重要性は理解されず、メンデルの研究はほとんど注目されませんでした。

その後、1900年にカール・コレンス、ユーゴー・ド・フリース、エーリヒ・フォン・チェルマクの3人の研究者によって独立に再発見され、メンデルの業績は再評価されることとなりました。

1879年2月8日:世界標準時の概念が提案される

1879年(明治12年)2月8日、カナダの技術者サンドフォード・フレミングは、トロントで開催されたRoyal Canadian Instituteの会議において、世界標準時の概念を提案しました。

彼は、地球を経度15度ごとに24の時間帯(タイムゾーン)に分け、各地域が標準時を採用することで、世界中で統一された時間管理が可能になると主張しました。

この提案は、当時の鉄道や通信の発展に伴い、各地で異なる時刻を使用していたことによる混乱を解消する目的がありました。

フレミングの提案は、1884年の国際子午線会議で議論され、最終的に世界各地で標準時が採用されるきっかけとなりました。

2月8日の現代の出来事

近年の2月8日に起こったニュースを紹介します。

1971年2月8日:NASDAQが証券取引を開始

1971年(昭和46年)2月8日、アメリカの全米証券業協会(NASD)は、世界初の電子株式市場であるNASDAQ(National Association of Securities Dealers Automated Quotations)を開設しました。

NASDAQは、従来の対面取引とは異なり、電子的な気配値表示システムを導入し、店頭取引市場の効率化と透明性の向上を目指しました。

設立当初は、主に店頭取引されていた銘柄の気配値を表示するシステムとして機能していましたが、徐々に自動取引システムを導入し、完全な電子株式市場へと進化しました。

現在では、NASDAQはハイテク企業やIT関連企業の上場が多い市場として知られ、AppleやMicrosoftなどの大手テクノロジー企業が上場しています。

1982年2月8日:ホテルニュージャパン火災

1982年(昭和57年)2月8日未明、東京都千代田区永田町にあったホテルニュージャパンで大規模な火災が発生しました。

この火災により、宿泊客33名が死亡し、34名が負傷する惨事となりました。

出火原因は、宿泊客の寝たばこによるものでした。

しかし、被害が拡大した背景には、ホテル側の杜撰な防火管理体制がありました。

具体的には、スプリンクラー設備の未設置、防火扉の不具合放置、従業員への防災教育や訓練の不足、そして消防当局の指導に従わない姿勢などが指摘されています。

この火災を契機に、日本の防火対策は大きく見直され、1983年には消防法が改正されました。

主な改正点として、ホテルやデパート、病院などの多数の人が利用する施設にスプリンクラー設備の設置が義務付けられ、建物の用途や規模に応じた消防用設備等の設置基準が明確化されました。

2月8日の出来事 まとめ

2月8日を振り返ると、日本史・世界史・現代のさまざまな出来事がありました。

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