2月14日には、日本や世界でさまざまな歴史的な出来事がありました。
本記事では、日本史・世界史・現代のニュースの視点から、2月14日を振り返ります。
2月14日の日本史の出来事
2月14日に日本国内で起きた歴史的な出来事を紹介します。
802年2月14日:坂上田村麻呂が胆沢に派遣される
802年2月14日(延暦21年1月9日)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、朝廷の命令で陸奥国にある胆沢(いさわ)の地に派遣されました。彼の任務は、胆沢城という城を築くことでした。
胆沢城は、現在の岩手県奥州市に位置しており、当時、朝廷が東北地方を支配するための重要な拠点となりました。
この城は、東北地方の人々(蝦夷(えみし)と呼ばれる)との関係を安定させるために建てられました。
城の建設には、駿河、甲斐など、東国の10か国から集められた4,000人の人々が参加しました。
胆沢城の建設中、蝦夷の指導者である阿弖流為(あてるい)と母礼(もれ)が降伏し、東北地方の平和が進みました。
その後、胆沢城は約150年間、東北地方の政治や軍事の中心地として重要な役割を果たしました。
1880年2月14日:奈良公園が開設される
1880年2月14日、太政官布達に基づき、奈良公園が開設されました。
当初は旧興福寺境内の一部を公園地としていましたが、その後、春日野や浅茅ヶ原、東大寺や氷室神社の境内地、若草山や春日山などを含む広大な地域へと拡張されました。
奈良公園内には、東大寺、興福寺、春日大社などの歴史的な寺社が点在し、豊かな自然と文化遺産が調和しています。
また、約1,300頭の鹿が生息しており、訪れる人々に親しまれています。
1927年2月14日:伊吹山で世界最深の積雪を記録
1927年2月14日、滋賀県米原市に位置する伊吹山(標高1,377メートル)の測候所で、11メートル82センチの積雪が観測されました。
この記録は、公的な観測地点における世界最深の積雪として知られています。
伊吹山は、若狭湾と伊勢湾に挟まれた地形にあり、冬季には日本海からの湿った空気が山にぶつかり、大量の雪を降らせます。この地理的条件が、記録的な積雪の要因となりました。
当時の観測は、現在のような自動計測機器がない時代で、測候所の職員が「雪尺」と呼ばれる棒を継ぎ足して雪の深さを測定していました。このような手作業での観測で、世界記録が記録されたのです。
伊吹山の積雪記録は、現在も破られておらず、日本が世界有数の豪雪地帯であることを示しています。
2月14日の世界史の出来事
2月14日に世界各地で起きた歴史的な出来事を紹介します。
1876年2月14日:ベルが電話の特許を出願
1876年2月14日、アレクサンダー・グラハム・ベルは、電話に関する特許をアメリカの特許庁に出願しました。
この特許は、同年3月7日に認められました。
同じ日に、別の発明家であるエリシャ・グレイも、電話に関する特許を出願していましたが、ベルの出願がわずかに早かったため、特許が認められたのはベルでした。
その後、ベルは助手のトーマス・ワトソンとともに、電話の実験を続けました
そして、1876年3月10日、ベルは初めて電話を通じて「ワトソン君、ちょっと来てくれ」と話しかけ、ワトソンにその声が届くことに成功しました。
この発明により、遠く離れた人同士が直接話すことができるようになり、コミュニケーションの方法が大きく変わりました。
1946年2月14日、アメリカのペンシルベニア大学で、世界初の汎用電子計算機であるENIAC(エニアック)が公開されました。
ENIACは、電子数値積分計算機(Electronic Numerical Integrator and Computer)の略称で、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍の弾道研究所のために開発されました。
主な目的は、砲弾の弾道計算を迅速かつ正確に行うことでした。
1943年に開発が始まったENIACは、長さ約30メートル、重さ約30トンと巨大で、17,468本の真空管、7,200個のダイオード、1,500個のリレー、10,000個のコンデンサ、そして約500万個の手作業によるはんだ付けが含まれていました。
その計算速度は、当時の機械式計算機と比較して約1,000倍も高速であり、1秒間に5,000回の加算が可能でした。
2月14日の現代の出来事
近年の2月14日に起こったニュースを紹介します。
1989年2月14日、アメリカ合衆国はGPS(全地球測位システム)の最初の運用衛星である「Block II」を打ち上げました。
これにより、GPSシステムの本格的な構築が始まりました。
その後、1994年までに24機の衛星が軌道に投入され、GPSは全世界で利用可能なシステムとなりました。
1973年2月14日:変動相場制へ移行
1973年2月14日、日本は長年続けてきた固定相場制から変動相場制へ移行しました。
これにより、為替レートは市場の需給によって決まるようになりました。
第二次世界大戦後、日本の円相場は1ドル=360円に固定されていました。
しかし、1971年8月のニクソン・ショックにより、アメリカはドルと金の交換を停止しました。
その後、同年12月のスミソニアン協定で、円は1ドル=308円に切り上げられました。
しかし、固定相場制は長く続かず、1973年2月14日に変動相場制へと移行しました。
変動相場制への移行後、円高が進行し、輸出企業は大きな影響を受けました。しかし、これを契機に日本企業は海外進出や生産体制の効率化を進め、グローバルな競争力を高めることとなりました。
2月14日の出来事 まとめ
2月14日を振り返ると、日本史・世界史・現代のさまざまな出来事がありました。
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